ぶくぶくコラム

2024.7.5 第363号

熊本市 H・K 様

純粋な「利他」はどこにあるのだろうか


企業を訪問すると、壁に「自利利他」という言葉が貼ってあるのを見たことがあります。これは、自分が利益を得たいと思ってとる行動は、同時に相手側の利益にもなるということです。また、地震や洪水などの災害が起きると、全国から集まるボランティアの中には、人から褒められたいと思う人もいるようです。純粋な「利他」はどこにあるのだろうかと、常々、疑問に思っていました。なぜなら、生物学者のリチャード・ドーキンス博士が書いた「利己的な遺伝子」という本を読んでいたからです。生物は遺伝子を運ぶための乗り物であり、利他的に見える行動でも、実は自分の遺伝子を子孫に残すための利己的な行動であるのです。それを、ゲーム理論という数学を使って説明することもできます。生物の根幹には「利己的な遺伝子」が組み込まれていて、純粋な利他行動が現れるのは難しいと思っています。

 ここで紹介する政治学者の中島岳志先生が書かれた「思いがけず利他」の本には、人間がどのようなときに「利他」を発動するかについて、考察されています。その例として、教師が卒業生に会ったときに、「あのとき、先生が言ってくれたことが自分の人生を開いてくれました。」と言われたとします。しかし、教師は自分が何を言ったのか覚えていないのです。受け取った側から「利他」が発動し、しかも発信者にとって未来から「利他」がやってくるのです。利他的であろうとして特別なことをする必要はなく、毎日を精一杯生きて自分の為すべきことを為す。その繰り返しが、利他を呼び込むのです。

先日、この例と全く同じことが起こりました。教師をしている私は、ある学生に「準備のないところにチャンスは来ない。」という話をしたことがありました。卒業したその学生にメールで連絡をとった際に、「この先生の教えを胸に頑張ります。」と書かれた返信が来て、ハッとしました。「思いがけず利他」の「思いがけず」というところに、利他の本質があることに気づかされました。

書籍名 思いがけず利他
著者 中島岳志著
出版社 ミシマ社
価格 1,760円
概要 It’s automatic(イッツ オートマティック)!? 誰かのためになる瞬間は、いつも偶然に、未来からやってくる。 東京工業大学で「利他プロジェクト」を立ち上げ、『利他とは何か』『料理と利他』などで刺激的な議論を展開する筆者、待望の単著! 今、「他者と共にあること」を問うすべての人へ。 自己責任論も、「共感」一辺倒も、さようなら。 ** 偽善、負債、支配、利己性……。利他的になることは、そう簡単ではありません。 しかし、自己責任論が蔓延し、人間を生産性によって価値づける社会を打破する契機が、「利他」には含まれていることも確かです。——「はじめに」より 本書は、「利他」の困難と可能性を考える。手がかりとなるのは、居心地の悪いケアの場面、古典落語の不可解な筋書き、「証明できない」数学者の直観、「自然に沿う」職人仕事の境地、九鬼周造が追求した「私は私ではなかったかもしれない」という偶然性の哲学……など。 「利他の主体はどこまでも、受け手の側にあるということです。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができません」 「利他的になるためは、器のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要」 ——本文より 意思や利害計算や合理性の「そと」で、 私を動かし、喜びを循環させ、人と人とをつなぐものとは?
ISBN 9784909394590