「長崎市 F様」
 
 本はどれくらい量読めば満足するものか。質問の意味がわからない?でしょうね。言ってる本人もよくわからないのですが、最近集英社から出た「21世紀ドストエフスキーがやってくる」(集英社、大江健三郎、2,625円)という本を読んだのです。作家評論家研究者による対談評論エッセイなど満載した、いわばドストエフスキー読本。そのなかに次の一文があります。
  ドストエフスキーに関する文献はもはや一人の人間に読みきれるような分量をとうに凌駕している。それを読むだけで一生の仕事になる。この膨大さをどうしたらいいのか。ドストエフスキーに興味があるのであれば、ドストエフスキーの作品を熟読することを優先すべきであって(それだけでも時間がたりないのに)さまざまな研究書や批評を読むのは一人の読者の限られた人生にとって時間の無駄ではないのか。
  そうです、そうです。専門の研究者でさえこういう印象をもつのだから、素人の読者なら作品を読むだけで充分、と思う。べつに、作品批評や研究解説や作家評伝が不要というのではない。ただ、世の中には文学作品は多い。ドストエフスキーだけならいいが、トルストイもあればバルザックもありスタンダールもあればゲーテもある。ジョイスもプルーストも読みたい。いやいや漱石鴎外だって全部は読んでいない。一人の作家だけにかかわっていたら一生読まずに終わる作品が山となる。
  しかし読む能力には限りがある。そこで時間と相談して作家と作品の取捨選択を迫られる。断念せざるを得ない本が山となる。あーあ、若いときにもっと読めばよかった。くだらない遊びに使った時間がくやまれる。晴耕雨読などとかっこつけたのがまずかった。しかし晴耕雨読でやっても、読めない本はごまんとあるだろう。どこかで線を引かねばならない人はどれだけ読めば満足するのだろうか。あなたは自分の読書人生に満足していますか、という素朴な疑問、質問なのです。
 
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