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メトロ書店専務 川崎紀子
「散るぞ悲しき〜硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子、新潮社、¥1575)

五月頃のこと、本店のインフォメーションカウンターに入っていたら、お得意様からお電話が入った。「散るぞなんとかっちゅう本がほしいんだけど。なんか良か本らしかねえ」とおっしゃった。在庫を確認すると、昨年の7月に出版されてから何度も入荷しては売れ続けている。幸い在庫があったので早速お取り置きした。先月もお歳を召した女性からお尋ねの電話があった。

新潮社にこのことを尋ねると「クリント・イーストウッドが硫黄島の映画を日本側からと米国側から2本撮っていて、日本側は渡辺謙が主演だ」と教えてくれた。映画化はともかくとして、このようにお客様から問い合わせのある本は文芸やノンフィクションの担当者はすぐに読まなきゃと思いつつ、やはり若い人にはタイトルに抵抗があるのか興味が湧かないのか。戦争は風化しつつあるのかもしれない。

私が音大に在籍していた時、年末恒例のベートーベンの「第九交響曲合唱付き」の演奏会には当時ソリストとして栗林義信さんが出演されていた。読売交響楽団と私たちの合唱で3、4日間あちこちで演奏会をおこなったと記憶している。その時の演奏会のパンフレットを見た亡き父は「この人は栗林中将のご親戚だろうか?」と敬意を込めて言ったのだ。

三十数年前の父の言葉を思い出させてくれたこの「散るぞ悲しき」はフリーライターとして数多くのインタビュー記事や取材記事を手がけてきた梯久美子さんの初の単行本で、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本である。もっとお歳を召した方が書かれたのかと思っていたら1961年生まれの若い方だった。遺族の方々の重い口を開かせた梯さんの真摯な取材の姿勢に共感を覚える。

明日のない実りのない毎日を孤島で過ごす栗林中将は妻や娘に当てて愛情あふれる手紙を書き送っていてほほえましい。また彼は30代でアメリカに留学しており、昭和4年の12月にはカンザス州から首都ワシントンまでの1300マイルを単身で走破(シボレーK型)している。留学先からまだ字の読めない息子にあてて絵手紙を送っていてその優しさとユーモアのこもった文面はひとりの人間しての魅力に満ち溢れている。

この本を読むまでは、日本軍が硫黄島で玉砕したということ、またそのために米軍が日本本土の爆撃が可能になったことは知っていたが、ここまで壮絶でしかも統率の取れた戦いがあったとは認識していなかった。「アメリカをもっとも苦しめ、それゆえにアメリカからもっとも尊敬された男」(ジェイムス・ブラッドレー)。栗林忠道と言う人が存在し、「散るぞ悲しき」と詠ったこの事実を私たちは決して忘れてはならないと心から思った。


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