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版元さんリレーエッセイ メトロ川柳

2004年10月5日号・第123号 news@metrobooks.co.jp(←投稿はこちらへ)

MBA(メトロ文芸アソシエーツ)
曲木賞受賞?       
「イン・ザ・ブックショップ」前田英子
 「伊良林(いらばやし)総合病院」の地下一階は人の行き来もなく閑散としていた。レトロ書店副店長・南野英輔は「神経科」と書かれたプレートをため息まじりに見上げている。
 
 体よく追い払われたな…。南野の中にはそんな思いがあった。身体の不調を訴え連日通いつめる南野に、内科の若い医師は冷淡だった。レントゲンを撮っても尿検査をしても異常は見つからず、とうとう「神経科」に回されたのだった。
 
 恐る恐るドアをノックすると、中から「いらっしゃーい」という甲高い声が聞こえた。何だか元気な頃の長島監督みたいだ。南野は診察室へ足を踏み入れた。
 
 顔を上げる。四十代前半と思われる太った医師が、一人掛けのソファに深々と腰を下ろしていた。部屋の隅では茶髪の若い看護婦が、南野には目もくれないで週刊誌を読んでいる。「どうもどうも」医師が相好をくずし、椅子を勧めた。名札には「医学博士・伊良林一郎」とあった。この病院の跡取りなのかも知れない。
「レトロ書店勤務?」
「えぇ。」
「あぁ、あそこなら良く行ってるよ、インフォメーションカウンタのお姉ちゃんがカワイイんだよねぇ。で、今日はどうしたの?」
「・ ・ ・ 実は毎晩悪夢を見まして、で、出社しようとすると目まいや息苦しさに襲われて・ ・ ・ 。」
「ふーん、どんな夢なの?」
「あの・ ・ ・ 初めは文庫の棚が出てくるんです。作家のあいうえお順に入っているはずなのに、バラバラなんです。逢坂剛が「あ」に入っていたり、吉田修一が「き」に入っていたり、で、一生懸命並べ替えようとするのにさらにぐちゃぐちゃになって・ ・ ・ 。
 すると、次は雑誌の棚が出てくるんです。前の号の雑誌がまだ棚に入っていて、あ、大変抜かなきゃ、って思ったら・ ・ ・ 。」
「抜く?」鼻をほじりながら伊良林が訊ねる。
「そうです、雑誌というものは新しい号が出たら古いのは返さなきゃいけないんです。なのに、次から次へと古い雑誌が棚から出てきて・ ・ ・ 。で、雑誌担当のYさんっていう女性が僕のことを追いかけてくるんですよ、抜き漏れないかー、抜き漏れないかーって。」南野の顔が蒼ざめてくる。
「・ ・ ・ で、しばらくするとお客さんが紙袋にコミックを詰めてるんですよ。何やってるんですかって問うと、そいつがへらへら笑って、今レジに持って行こうとしていたとこなんですよ、って。振り返ると、周りのお客さんがみんな自分のバッグを開けて、今レジに持って行こうとしていたとこなんですよぉって。」
「ふーん、本屋さんって楽しそうなんだね。」
「どこがですか!」南野はため息をついた。
「じゃあ、とりあえず注射しとこうか。大丈夫、目まいを抑える薬だから。マユミちゃーん」伊良林は自分の太いももをポンとたたいた。奥のカーテンが開き、振り向くといつの間にかさっきの看護婦がスタンバイしていた。
「ちくっとしますよ」南野に向かって屈みこむと看護婦の胸の谷間がくっきり見える。慌てて目をそらすと、伊良林が鼻の穴を広げ、興奮した様子で針の刺さっている腕を見ている。
「南野君って、いい腕だね、バドミントンとかやってんの?」伊良林がさらに顔を近づけて見ている。注射が終わると、看護婦はさっさとまた雑誌に没頭し始めた。
「じゃ、また明日も来てね。この注射は続けて打たないと効かないから」「はあ・ ・ ・ 」南野は呆然としながら答えた。「またレトロに買いにいくわ」看護婦が雑誌から顔も上げずに言った。
 

 それから一週間後。毎日の注射が効いたのか、南野はようやくレトロ書店に出社できるようになった。その朝、南野の体調を気遣う店員たちの声に混じって、おかしな、でも耳慣れた甲高い声が聞こえてくる。
「雑誌抜き終わりましたぁ」
この声は、まさか。本棚の陰から巨体が現れた。青いエプロンがはちきれそうになっている。
「い、伊良林先生!どうしてここに?」
「あ、南野君、元気になったんだねぇ、良かったですねぇ」
 そこへ雑誌担当のY女史がやってきた。「あれ、南野君知らなかったの。伊良林先生あなたが休みはじめてから代わりにうちに来てくれてるのよ、助かるんだから」
「えへへ、だって、ホラ、うちの診察午後からだから、せめて午前中だけでも手伝おうと思って。それに南野君の話聞いてると本屋さんって面白そうだと思ってさ」はぁ、聞いてないよ、南野は目を剥いた。
「イラちゃーん、うつ病フェアできましたよー」実用書コーナーから担当のM野が呼んでいる。慌てて南野も伊良林の後を追う。実用書・病気の本コーナーの平台に立派なフェアが完成している。しかも、「伊良林総合病院・神経科伊良林一郎先生監修」と伊良林の顔写真までラミネートされて飾られているではないか。隣の細木数子フェアでさえもすっかり影が薄くなっている。当の伊良林は「ここの本全部ママに買ってもらおう」と上機嫌だ。
 
 冗談だろ、こんな医者があるもんか。信じられない思いで、文庫コーナーに向かうと・ ・ ・ 。何だよ、これ。文庫コーナーの棚の配置がまるで変わってしまっている。講談社文庫から始まっているはずの棚がフランス書院から始まっているではないか。おまけに隣は角川ホラー文庫だ。「イラちゃんも怖くてトイレに行けない本」というポップが汚い字で書かれてある。
「ちょ、ちょっと何なんですか、伊良林先生・ ・ ・ 」と振り向くと、間野店長が目の前に立っている。
「南野、これはこれでええんや、案外売れとるし。お客さんにとっても目先が変わってええのかも知れん。新規顧客獲得じゃ。」
「で、でも店長・ ・ ・ 。」
「ま、ええからちょっとこれ見てみい」店長が自分の靴を指差す。「こないだ伊良林先生のお母様が来てな、お世話になっております、言うて、スタッフ皆に買うてくれたんや。グッチとかいうブランドの靴。おまけに社会体験ですので、時給はいりません言うてくれるし・ ・ ・ 。」辺りを見回すと、男も女もスタッフは皆、上等そうなピカピカの靴を履いているではないか。「あ、そろそろ朝礼や」小脇に抱えている朝礼ノートまでもが、LVのロゴマーク入りに革カバーに変わってしまっている。
 
 朝礼では伊良林が嬉しそうな顔で司会をしていた。一週間前までは南野が担当していたのに、である。「えー、うつ病フェアをテレビCMで宣伝します。あ、もちろん広告費はホラ、ボクのこの小切手でどうぞー」拍手大喝采。
 ちくしょう。こんな変態野郎に我がレトロ書店を汚されてたまるか。南野は憤然として文庫の棚へ向かった。まずはここから元に戻そう。
 怒りを胸に歩く南野の具合がすっかり良くなっていることに、本人はまったく気がついていなかった。
 

*なお、この話は、『イン・ザ・プール』(奥田英朗、文藝春秋)のパロディです。奥田先生、ごめんなさいっ!!
(S)



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