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版元さんリレーエッセイ ステンドグラス 編集長の読書日記
秘境大冒険 海洋の王者                  某氏著 
 
 嗚呼ッ。我孫子氏が突然声を上げた。
 
 時に、二千×年、七月の某日。我々海洋探検隊の一行は、O港を出立し、伝説の島、Nへと向かっていた。五十人乗りの「あほうどり」号に一行八人が乗船したのは午前七時過ぎのことであった。然し、港を出て10分ほどしたころから、視界を霧が覆い始めた。時間厳守の島、M島に立ち寄ってから数分が過ぎたころには、計器の働きと、船長の熟練の技ばかりが我々の関心事となっていた。そんな時である。副隊長の我孫子氏が声を上げたのは。
 
 我孫子氏の指し示す方角を全員が見た。そして。
「あれはN島!」 
 
 切り立った崖の姿が分厚い霧の向こうに見え隠れする。最盛期には人口六百人を数えたものの現在の正式の島民は一名、今や野生鹿の天国となっている、まさにその、N島であった。だが、隊員の誰がこのような神秘的な状況を予測したであろうか。そもそも探検隊の目的は半分以上、遊びであったー「釣り」もしくは「海水浴」いう名のーが、
 この島の荘厳な姿は、隊員のふざけた気持ちに冷水を浴びせかけるものであった。何か予想外のことが起きるー霧に覆われた崖を迂回するようにして、船は船着き場へと向かう。だが、一行は頭を垂れるばかりであった。
上陸した一行は二手に分かれた。隊長の北方氏は五名を引き連れて、N首海岸へと向かう。一方、我孫子氏と私、そしてもう一人は別班を組織し、島内の藪を払いながら、歴史的建造物探索に乗り出した。数時間後、藪蚊や百足、野生鹿と戦いを終えた我々一行は北方隊長に合流することとした。
 
 時刻は十一時、いつの間にか霧も晴れ、太陽は夏の輝きを取り戻していた。白い砂浜。紺碧の海。恰も、地中海沿岸の、りぞおと地のような風情である。我々が疲労をこらえて道なき道を下って、海岸に降り立った時には、釣りも最盛期を迎え、鱚が魚籠の中で泳いでいた。

「ううむ、暑い」当然過ぎるくらい当然の感想を我孫子氏が洩らす。だが、それは同行の二人にしても同じこと。特に私などは急激にあがってゆく気温の下で、泳いで涼をとることもせず、布を頭に被りただただへばっていた。ーそんな時である。我らの目の前にあるものが置かれたのは。黒くごつごつとした突起に覆われた球形のものが、袋に詰め込まれている。

「な、なんなのですか。これは」異口同音に叫びつつ、恐ろしい予感に捕らわれる。ーいいや、最初から答えは知っていたのだ。そう、それは海の珍味の王様ー雲丹(うに)。あの一瓶数千円はして、食道楽の芸能人が舌鼓みをうつあの雲丹の、それは本体であった。

 隊長命令です。雲丹の外殻を割って中味を食せる状態にしておけとのことです。
 穏和に笑う隊長補佐に逆らえる気力はもはや誰にも残っていなかった。

 一人が肥後守で割る。他の二人が中味を器具で掻き出す。その際、棘や他の内臓が混じってはイケナイ。
 黙々と取り組む。割る。掻き出す。割る。掻き出す。だが、何しろ、一つに入っている可食部分など、指先ほどのものだ。山は減らず、収穫も増えない。指先は赤紫色に染まってゆく。太陽は照りつける。額に汗し、などと生やさしいものではない。衣服は汗みずくになり、腕や顔が徐々に紫外線に浸食されてゆく。それでも雲丹を割り続ける。
 
 一時間後。袋二つ分の残骸と、ざるに少しばかりの黄褐色の物体を見て、我々は心に固く誓った。
 
 もう、雲丹なんて見たくない、と。
 
 それは、海洋の王者に人が敗北した瞬間であったのかもしれない。

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