談話室
今月のトップへ ブクブクコラム 談話室
編集後記 編集長の読書日記

メトロ書店会長・川崎清がちょっとひと言…
第2次世界大戦と私(4)
  
昭和二十年に入ると戦況は益々切迫した。ミッドウェー海戦と、ガダルカナル争奪戦に相次いで敗れ、陸軍は戦線が延びきって後方支援が続かず、もう敗戦は必至の状態になっていた。
 
 そういう状況にも拘わらず、国民は意外に平静だった。ながい統制生活にも慣れて、物資の不足も、食料の配給もそれ相応に機能していたためであろうか。
 昭和二十年ニ月国鉄から私、大東亜省から磯崎(後の国鉄総裁)、軍需省から瀧山と、国鉄出身の参謀本部嘱託三人に参謀本部から中国視察旅行の要請が来た。考えてみると開戦直後現地鉄道に派遣されるかと思われたとき、思わぬ本省移動となり以来三年余り、戦時国鉄の運営に参画していながら外地の経験が全くない。いまこそ、中国の状況に直接接する絶好の機会だと思えたから、喜んでその招待に応ずることにした。
 
 その頃のわれわれの給料は三百円位、三千円の旅費を貰ってとまどった。なくさぬように信用状にくんだが、支那の事情に詳しい磯崎君などは、その金で時計を買いあさっていた。時計は向こうでは高く売れるのだそうである。
 
 一行五人を乗せて米子から参謀本部の飛行機が飛び立ったのは寒い雪の朝だった。途中京城(ソウル)に着陸して、少憩の後新京(長春)に向かった。新京に着くと飛行機の窓はすっかり凍りついて、気温は零下二十℃以下だった。
 新京では満鉄総裁の公邸で関東軍の参謀の勇ましい話をきいたり、戦況全般の説明を聞いた。
 
 翌日は奉天から北京まで列車の旅行である。奉天で永年お世話になっている大島大平さんにお会いして、一緒にラーメンを食べた。塩味のこのラーメンの味、これは今もラーメンを食べる度に思い起こす奉天の味だった。
 
 列車が山海関を越えると途端に状況が一変した。売り子の売るピーナツが一袋三十円もするのである。一挙に百五十倍のインフレである。
 北京では北支部方面軍に派遣されている先輩の方々にお会いしてお話をうかがった。もう北京域の外側は共産軍の徴税区域なのだそうだ。日本軍が占領しているのは線路から二十キロの中の帯状地帯に過ぎないとのこと。
 
 夜、参謀本部の人達にジンギスカンをご馳走になった。占領地域はせまくとも治安は軍によって完全に保たれている。料亭の電気がたびたび停電する。その都度油に切り替えられる。再び電気が灯るとわっと歓声があがる。したたかな中国人はどんな環境にもめげずに、勢いよく生きている。この繁栄がいつまでつづくのか、と思うと、占領者の方が不安になる。(この稿つづく)



今月のTOPへ