談話室
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編集後記 編集長の読書日記            
メトロ書店会長・川崎清がちょっとひと言…
思いあたった父母の恋  

 父は厳格だが頼り甲斐のある人だった。僕が虫歯で歯が痛むと、変な本を持ち出して、それを見ながら患部を抑えてくれる。何やら「うん、うん」と呪文を唱えているようである。痛みはすぅっとは良くならないが、少し軽くなったような気がして、僕は泣きやむ。  

 母は僕だけに頼って生きているような女だった。朝から晩まで、こまねずみのように働いてる僕達の面倒を見てくれる。僕が旧制高校の入試のため夜おそくまで勉強していると、 母は夜なべをして、いつまでもつき合う。一体、何時まで起きているのかと思って、徹夜で勉強したら、母も夜通し仕事の手を休めなかった。  

 父の生まれは明治元年、母の生まれは明治五年である。農家の次男に生まれた父は一人立ちするほどの農地はわけて貰えないから、何とか独立して生きて行かねばならぬ。そこ で代用教員をしながら官吏の登用試験の勉強をしていた。  

 母の方は、母が長女で妹もいたが、おそくなって長男が生まれたので農地は長男がつぐことになった。母と妹は親を助けて生産に汗水たらしたのに僅かの田畑と山を貰って出て ゆかねばならなかった。これは明治維新の我国における農村の典型的な相続パターンだった。  

 今のように、ラジオもなければテレビもない。母達の若い青春にとって、唯一の楽しみは、代用教員の父に夜、講談本を読んで貰うことだった。近所の働き手の男女が毎晩十人 ほど集まって、ランプの灯の下で上手に読む父のお話に聞き入る。 「明日は早いから、今夜はここまでにしようか。」といって区切りのよいところであとは明日のお楽しみということになる。  

 毎晩、本を読んで貰う聞きてのお礼は一合のおかんをつけたお酒と、おつまみだった。 「そのお酒とおつまみはお母さんが用意してあげたの」 と、一度だけ母に聞いたことがある。 「うん、お父さんは寝酒がすきでねー」  

 両親の恋愛なんて、全く考えようもない時代の百年以上も昔の話だけれど、最近眠れぬ夜にふとこの話を思い出すと、ああ、お母さんはお父さんが好きだったんだ、と思い当た って、ほのぼのと暖かい思いにつつまれるのであった。

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